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精神がアレなときに書いたポエムが出てきた
アルミの上に無数の傷
雑音と砂嵐
蝿、蝿、蝿
ときどきサブリミナル雷光

他人には可哀相だから
自分の入った樽に剣
刺さっても飛び出す力もない
虎はいつ?虎はいつ?
「もう串刺し」

あああ
なんという厚顔!
そんなにその指が大事!
裏切り者が裏切られ者--信じていたのに!
「無資格のカリスマこそ、胸を張るのが筋でしょう」

今日もこの手が錆臭い
食い込む螺旋が痛い

============

最初は当時の脳内の状態らしいです。

2段落めは黒ひげ危機一発と山月記を混ぜたんですね。
やんでたんで気にしないでください。

3段落めは何のことかほとんどわからない……

最後の段落は、小学校のときの給食のおぼんが金属製で40枚もあるから重くて、持ち手が太い針金をらせん状に巻いたやつだった嫌な思い出です。
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2018'03'28(Wed)21:57 [ 普通の記事 ] . . TOP ▲
【読了報告】ミド『七月は皇帝の月 -Die Nordlandreise-』
ミドさんの『七月は皇帝(カイザー)の月 -Die Nordlandreise-』を読みました。
第25回文学フリマ東京での戦利品です。
20世紀初頭、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世のノルウェー旅行、そしてノルウェー国王ホーコン7世との交流を描いた作品です。
(相変わらずの世界史オンチが書いている感想なのでその辺ご了承ください)

未曽有の大戦を前にふと浮かび上がった二人の王さまの交流を丁寧な筆致ですくい取った、味わい深い作品でした。
年齢を調べてみますと、ヴィルヘルム2世のほうが13歳も年上なのですね。それを差し引いても、ホーコン7世と比べてヴィルヘルム2世はかなり尊大な人物として描かれています。生まれながらにして皇帝であるヴィルヘルム2世と、ノルウェー国民の投票によって迎えられたホーコン7世の違いがよく表れています。
とはいえヴィルヘルム2世も単なるえばりんぼ(?)というわけではなく、皇帝として国民を導く使命を自認しているからこその尊大さ、無邪気な傲慢さなのですね。また好意を持っている相手には非常に素直でもあります。ヴィルヘルム2世は第一次世界大戦を招いた暗君扱いされることが多いらしいのですが、ミドさんの繊細な力加減でなかなか憎めない人物になっていました。それゆえに、彼がこの後辿る運命を思うと切なくもあります。

対するホーコン7世は温厚で、一介の庶民にも礼儀正しい王さまで当然のように好きになっちゃう(笑)
議会との対立や王としての存在意義に悩む姿も描かれていますが、彼の運命に大きな波が襲うのは第二次世界大戦のほうでしょうか。先日拝読したまるた曜子さんの『野をゆくは魔女と景狼』にも少しだけ登場していました。

この二人には、友人と同性愛関係にあった(ホーコン7世は真偽不明とのことですが)という共通点があります。
当時は同性愛が反社会的行為とされていてドイツでは犯罪でもあったそうで、ヴィルヘルム2世の相手とされるオイレンブルク伯爵も同性愛者であることが原因で失脚しています。
オイレンブルクの面影を求めるようにノルウェーを訪れるヴィルヘルム2世は、もしかしたらホーコン7世と深く共感し合えたかもしれませんが……1914年のノルウェー旅行後に第一次世界大戦が勃発、1918年11月革命によってヴィルヘルム2世は退位しオランダに亡命、二度とノルウェーに旅することはありませんでした。

(読了後、ヴィルヘルム2世をちょっとWikipediaでどんな人なのかな~と見てみたんですが、もう……なんていうかお腹いっぱい……)
(この人、いったい誰にこんなに性癖を盛られたんだろう……神様かな……?)
2018'02'01(Thu)12:43 [ 普通の記事 ] . . TOP ▲
【読了報告】まるた曜子『野をゆくは魔女と景狼』
まるた曜子さん『野をゆくは魔女と景狼』を読みました。
テキレボ5での戦利品です。
昨年末から読み始めたのですがなかなか読書の時間が取れず、そのまま年を越してしまいました。
でも、今年は戌年だからちょうど良かったのかもしれません。オオカミはイヌ科だし!
(あっ、あけましておめでとうございます。)

さて「野ゆき」の舞台は第一次世界大戦後から第二次世界大戦後にかけての非交戦国スヴェーリエ(スウェーデン)。《魔女》のリネーアと、その《僕》である狼オメガの物語です。
素人目から見た感想ですが、20世紀初頭の北欧情勢、スカンディナヴィアの自然や文化風俗にまで行き届いた描写がとても魅力的です。

「魔女」シリーズを読むのは『僕の真摯な魔女』に次いで2冊目です。
《魔女》は《運命の人》と出会うと、その人と交わらねばならず、次代の《魔女》を産んで死んでいきます。
《運命の人》がたとえどんなひどい男だろうと、《魔女》にほかに大切な相手がいようとまだやりたいことがあろうと関係がありません。
運命の人との出会い――「魔女」シリーズのそれは、甘やかな響きから受ける印象とはまったく違ったものでした。

私は「僕魔女」を読んだ時、魔女のシステムとはなんと残酷だろうと思いました。けれども自らの宿命を受け入れ、その中で得られる最大の幸せを選び取ってゆく《魔女》の姿は二作を通じて凛としていて(それでいて可憐で)、胸を打たれます。

「野ゆき」では、人間のことも考えました。

みんなみんな、親しいひとに死んで欲しくなんかなかった。だけど彼らは言うのだ、『国を、愛する人を守るために戦うのだ、名誉と誇りを胸に!』そして死ぬ。(本文52ページ)

《魔女》と違って、人間には《運命の人》のような絶対的なさだめはありません。けれども人間は愛とか信条とか、または周りの雰囲気とか、さまざまなものに縛られて、時として自ら不幸になる選択をします。
絶対に逆らえない過酷な運命を背負うのと、いくつもあるはずの選択肢からわざわざ不幸なものを選んでしまうのと、本当に不幸なのはどちらだろう。《魔女》の一歩引いた視点から戦時下の人々を見つめると、そんなことを考えさせられました。
少なくとも、リネーアとオメガは不幸ではなかったでしょう。というよりも、誇り高い《魔女》とその《僕》の在り方を、われわれ人間が勝手に幸だ不幸だと評するべきではないと感じました。
私たちにできるのはただ、まだ雪の残るスカンディナヴィアの大地を駆け抜けていく二匹の狼を、敬意と一抹の哀惜をもって見送ることだけなのです。

素敵なご本なのでみなさんぜひ……と申し上げたいところですが、もう在庫がほとんどないとのことだったと思うので(2018.1.2現在)とりあえずシリーズ未読の方には『僕の真摯な魔女』をオススメしておきます。こちらも、よいですよ。


(追伸:えっちなところはくいいるようによみました)
2018'01'02(Tue)23:53 [ 普通の記事 ] . . TOP ▲
【読了報告】里見透『鳴き沙のアルフェッカ』
里見透さんの『鳴き沙のアルフェッカ』を読みました。
コミティア122の戦利品です。

舞台は、イフティラームという海に面した恵み豊かな国です。
この国では毎年春雷が鳴ってから五日後に「海神祭」が行われ、その年に十五歳(成人)になる若者たちの中から試合に勝ち残った者が祭主に選ばれます。
一年前、祭主の有力候補だったのは、首長の後継者で宗主国ダフシャの王族の血を引くカラヤと、もとは異国の奴隷だったイスタバルの二人。
境遇は違えど外からやって来た二人の少年は、同じイフティラームで成長した親友同士でした。
ところが、二人が対決したとき、カラヤはイスタバルの思わぬ罠にかかり……といったお話です。
(分かる方には、すでに私が大好きそうな感じだと察しがつくかと思います……)

物語は現在と一年前を行き来する形で紡がれます。
序章に現れる十六歳になったカラヤは、苛立ちと重苦しい雰囲気を感じさせて近寄りがたそうな雰囲気。
(ここの情景描写がカラヤの心情をすごく見事に象徴していてすごいなあ、と思いました、という小並感)
しかし続く第一章、一年前の彼はとても快活な少年で、その落差に胸が痛みます。
カラヤの心には、親友イスタバルの裏切りと不可解な死が影を落としていました。

具体的な言及はしていませんが、これ以上はそこそこネタバレしていますので一応畳みます。
>> ReadMore
2017'12'11(Mon)22:49 [ 普通の記事 ] . . TOP ▲
ついでに広告を消すヤツ。
4月度の300字SSを予約投稿しに来ました。
5/7(土)21時にここにアップされる予定です。
よろしくお願いします。

文フリとかテキレボに行ったんですが
レポートを書けるほど熱心に参加したわけじゃないので、
戦利品ぐらい写真撮ってUPしようかな。そのうち……。
2016'05'06(Fri)00:46 [ 普通の記事 ] . . TOP ▲