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ヘヴンズ・セヴン/第5章「不良聖人・下」
ふだん残業しない私も残業まつりになっております。
そんな中突発的に本編にとりかかってみました。

第5章のタイトルは「不良聖人・下」となりました。
あわせて第4章は「不良聖人・上」になるわけですが、第5章を書き終わってから直します。
ことによると第5章も「不良聖人・中」に変えようかな! となるかもしれないもんな(笑)

今回は過去の回想シーン。
続きからです。

1.

 月光帝国の皇帝は、その国の文字で「月大君」と書き表されていた。アレスティア風の発音だと「ユエターチュン」となる。
 月光帝国は遥か古代から、月を唯一神として信仰してきた国家である。皇帝は国家元首であると同時に、最高位の神官であり、そして現世に降臨した神の使いとしても崇められてきた。皇族がヘヴンズ・セヴンの一人、ヴィエトロ=ヴァルナク・メリーラッツの血を引いていたからだ。国民の多くが自給自足の生活を送る農民で、豊かな国とはいえなかったが、歴代皇帝の神秘的なカリスマによって、永らく平和を保ってきた国であった。――そう、4年前、アレスティアに攻め入られるまでは。
 グランシア暦1946年8月11日、月光戦争における降伏文書の調印式が、月光帝国の王宮・月光宮にて行われた。アシュリオはガナッツとケンペルを伴い、アレスティア王国の名代としてこれに出席した。このときに出会ったのが、最後のユエターチュンである。
 ユエターチュンは、机を挟んでアシュリオの真正面に座っていた。彼は二十にもならぬ若い君主であった。紫色の瞳、濃い眉、通った鼻筋、そして少し尖った長い顎、どれをとっても影閃によく似ていたが、黒く艶やかな長い髪を持っているところだけは違っていた。夜の闇を表す漆黒の法衣には、雅やかな金糸の刺繍があしらわれていて、頭上には蓮の花に似た形の金冠を戴いていた。そして、魔法の天才と呼ばれたアシュリオと同様、彼も強い魔力を宿していた。かつてともに世界を救ったヘヴンズ・セヴンの子孫同士が、悠久の時を経て、敵同士として対峙しなければならなかったのである。
 調印の席に着いたアシュリオは暗澹たる思いであった。できることなら、月光島の西側をアレスティアに割譲することで、この戦争を手打ちとしたかったのだ。しかし、本国のイゼルレア女王はこれを認めなかった。月光帝国全土を併合せよ――それがイゼルレアから与えられた至上命令だったのである。ただ、アレスティアから大勢の入植民を送って、月光帝国の民との間に諍いを招くようなことはするまいと女王は約束した。これはどうやら、現在に至るまで守られているようだ。
 併合――それはつまり、月光帝国の滅亡を意味する。だがユエターチュンは、たとえ国が滅びるとも、戦争終結のためならばやむなしとして、この条件を受け入れた。そのほか降伏文書には、月光島各地の地名をアレスティア風の呼称と表記に改めること、ユエターチュンはじめとする月光帝国の皇族は今後一切アレスティアからの指示に従うこと、ギムシナ・ジャポネ両国もあわせてアレスティアとの敵対関係を解消すること云々が列記されていた。
 自分の署名が、ひとつの国を滅ぼす。当時14歳のアシュリオにはあまりにも大きな重圧であった。しかしここで女王の命令に逆らえば、自分たちも反逆者と見なされる。アレスティア本国から追討軍が派遣され、月光島は更なる戦火に見舞われるだろう。それはユエターチュンの思いを裏切ることになる。結局、アシュリオは降伏文書に署名するほかなかった。
 調印式には、月光帝国の同盟国であったギムシナとジャポネからも、全権を担った文官が出席し、それぞれ署名を行った。この二名の文官については、アシュリオは名前も顔もはっきりと記憶していない。最後に、ユエターチュン自らが月光帝国を代表して降伏文書に署名することとなっていた。
 皇帝は侍従に筆と硯を用意させた。真新しい細筆が、穂先からじわじわと墨を吸い上げていく。
「本当に、よろしいのですか……?」
 アシュリオは思わず、ユエターチュンに問うていた。
「もう決めたことである」
 ユエターチュンは抑揚のない、低い声で答えた。アシュリオはひどく慌てた。自分の問いかけが、いかに無礼なものだったかを思い知ったのである。
 ユエターチュンはさっと左の掌を向けた。
「よい。朕は満足しておるのだ。後世の史家には笑われようが、引き際を誤ったとは思うておらぬ。これ以上の犠牲は無益である」
 この若い皇帝はそう言うが、アシュリオはそうは見ていなかった。月光帝国はもっと戦えたはずだと思っていたからだ。開戦から二十日と経たぬうちに、アレスティア軍は四百を超える屍を積み上げていた。残った将兵たちも遠征に疲弊しきっている。月光帝国の降伏宣言は、そんな矢先の出来事だったのである。
 ユエターチュンはその紫の瞳で、アシュリオを見つめ返すと、かすかに笑みを浮かべて言った。
「朕の言う犠牲とは、我が方の兵のみを言うにあらず。貴国の兵も我が兵も、すべて同じ命であろう?」
 アシュリオははっとした。ユエターチュンは、このまま戦争が続けば、全ての国を巻き込んで凄惨な大戦争に発展すると考えたのだ。そうなるくらいなら、国を捨ててもいますぐに戦争を終わらせるべきだと。しかしそれは、どれほど苦しい決断だっただろうか。国を存続させることが第一だと教え込まれてきたアシュリオには、身に染みて分かるのだった。
 そして皇帝は、祖国の文字ではなくアレスティア文字で署名をした。流麗な筆跡は、書いたその人の黒髪によく似て、美しかった。それに比べてアシュリオの署名は、いかにも幼稚で頼りなかった。
 全ての署名欄が埋まった。国が一つ滅びた。亡国の帝は立ち上がり、一礼して踵を返した。彼が侍従とともに奥の扉から出て行くと、ギムシナ、ジャポネの代表も後に続いた。
「王子。我々も退席いたしましょう」
 ケンペルに声をかけられるまで、アシュリオは動けなかった。えてして人間は、その心が激しく葛藤しているときは、身体を動かすことを忘れるものだ。さらにガナッツが声をかけるまで、アシュリオは椅子に縛り付けられたかのようにじっとしていた。
 立ち上がったのは、決心がついたからだ。
 翌日、アシュリオは本国の指示を待たず、ガナッツに月光宮の包囲解除を命じた。それは、アレスティアが月大君に対する処分を放棄することにひとしかった。この決断が女王の怒りを買い、アシュリオがクレシア島へ流刑に処されたことは、繰り返すまでもない。
 それから月大君の行方は、杳として知れない。

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2012'04'16(Mon)23:27 [ 本編/ヘヴンズ・セヴン ] . . TOP ▲