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【読了報告】オカワダアキナ「猫を飼う」
オカワダアキナさんの「猫を飼う」を読みました。
オカワダさんの作品を読むのは、テキレボアンソロの「飛ぶ蟹」以来です。
タイトルを囲うカギカッコが『』ではなく「」なのは、本ではなくweb上で読んだからです。
(ご本はもう完売してしまったそうで、お持ちの方が非常にうらやましいです)

「ザネリ」というオカワダさんのサークル名は、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に出てくる名前だそうですが、恥ずかしながらいまだまともに読んだことがありません。
「銀河鉄道の夜」については、私の小学生時代の担任が「人形劇を観たけど何がいいのかよく分からなかった」とディスっており、読書家の姉が「あの良さが分からないなんて、その先生まじセンスないな」とさらに先生をディスって、私の頭の中では先生(中年男性)vs読書家の姉(JK)の仁義なき戦いが繰り広げられていました。
(どうぞここで、あのトランペットの「ぱやや~~~、ぱやや~~~」というテーマ曲を流してください)

話が脱線しかしていません。
オカワダさんが書かれているのは「ジョバンニやカンパネルラになれないひとたちの物語」なので、「ザネリ」というサークル名になさったとのことで、私の中のザネリ君はオカワダさんが書かれる人物に似ているのかな、と勝手に思っています。
(※ザネリが男なのか女なのか、人間かどうかさえ知らないのですが、「銀河鉄道の夜」読むまであえてググらないでおくので、私に「ザネリっていうのはこういうキャラだよ」と教えないでくださいね。
ネタバレを吹き込むのはやめてください! 読んでない人だっているんですよ!!)
オカワダさんいわく、「年金払ってなさそうな人たち」。
「猫を飼う」の主人公鶴森ハルオも確かにそんな感じがします(笑)
現代社会の「ふつう」「まとも」といったメインストリームからはずれて、定職に就かず社会の歯車にはならず、かといって夢に向かって熱くひた向きに邁進するわけでもなく、どことなく不健全に生きているけど、たぶん善良な人たち。
いまのところそんなイメージです。

ここは私のブログだし、読了報告であって読書感想文ではないので、いくら話が脱線したって罪には問われないでしょうが、右上の×をクリックまたはタップする音が聞こえてきそうなので、いい加減話をもとに戻そうと思います。

「猫を飼う」は、東京都豊島区雑司ヶ谷周辺を舞台にした作品です。
主人公鶴森ハルオ(三十歳)は、作家を志望しつつもいまのところ名を成しておらず、国語の非常勤講師と、フリーペーパーの星占いコーナーを書くことで生計を立てていました。
ハルオは友人の亀山三四郎(漱石の主人公と同じ名前だ!)がクモ膜下出血で急逝したのを機に、非常勤講師を辞めて小説の執筆に取り組もうとします。が、思うように筆は進みません。
そんなある日、ハルオの部屋に佐藤ミユキと名乗る女性が猫を連れてやって来ます。ミユキはハルオが作った猫探しのチラシを見てやって来たと言うけれど、ハルオにはそんなチラシを作った覚えはありません。
ミユキが代わりの飼主を見つけてくるまで、ハルオは仕方なしに猫を引き取ることになって……、というお話です。
本作でまず読者の興味を牽引するのは「誰がハルオの名を騙ってチラシを作ったのか?」という犯人捜しのミステリーですが、そこに夢と現実を行き来するマジックリアリズム的要素(使い方があってるか不安です)が見事に融合しています。さらにちょっぴりクセのある登場人物たちとが相まって、どんどん先を読みたくなるお話でした。
(ここらで一旦畳みます。)


私も先日仕事でちょろっと立ち寄っただけなので詳しくはないのですが、雑司が谷について少し書きます。
「墓のまち」と作品紹介にある通り雑司ヶ谷霊園があります。夏目漱石や竹久夢二、東条英機などなど、数々の著名人が眠る東京都立の霊園です。あとは鬼子母神(※本当は鬼の字に点がありません)も有名なのかな。
これは余談ですが住所や副都心線の駅は「雑司が谷」。都電の駅名、霊園は「雑司ヶ谷」ですが、雑司ヶ谷霊園の住所は雑司が谷ではなくて南池袋です。

私が雑司が谷に抱いた印象は、「あわいの街」でした。
たとえるなら、赤と白の水彩絵の具を溶かした水が混ざり合うとき、真ん中にできるメヨメヨっとした部分、みたいな街。
路面電車(都電荒川線)が走り、しっぽりした喫茶店や古本屋があったりして、まるで都心とは思えないのどかさですが、池袋に近いので北の空を見上げるとドカーンとサンシャイン60が建っていますし、東京メトロ副都心線の雑司が谷駅はとてもキレイで都会的です。
何より無数の死者が眠る霊園は、それだけで彼岸に近いように感じます。そういえばサンシャイン60だって、巣鴨プリズンの跡地なのでした。先に名を挙げた東条英機らが処刑された場所でもあります。
猥雑な繁華街と閑静な住宅地、彼岸と此岸、生と死、それらが混じり合う境目に、雑司ヶ谷という街があるように思ったのです。
そして「猫を飼う」は、雑司が谷というあわいの街に実にぴったりくるお話だなあと思いました。
(ちなみに仕事で同行していた先輩が「雑司ヶ谷霊園には猫が多い」と教えてくれました。
木陰が多く墓石も冷たいので気持ちがいいのだろう、とのこと。私は会えませんでしたが!)

はたして生と死には、境目があるものでしょうか。
ハルオは死について、「死ぬのってそんな感じなんだろうか。急に、まちがった曲がり角をまがってしまって、落とし穴に吸いこまれてしまうような」と言っています。彼はある瞬間にくっきり生と死が分かれるものだと思っていたようです。
かく言う私も先ほど「境目」という言葉を使った通り、生と死の間には境界線がないことを忘れていました。境界線があってほしかったのかもしれません。死ぬのは怖いですし、普段の人生の中にそっと紛れ込んでいてほしくはないものです。
けれども「猫を飼う」では、犯人さがしのパートと不思議な体験をするパートが徐々に混ざり合い、生と死も渾然一体となっていきます。というよりも、本来そういうものなのでしょう。先ほどの水彩絵の具の喩えを使い回すなら、私たちの「生」は真っ赤ではなく、「死」の白が混ざったピンク色なのだということに気づかされるのです。
その感覚は少なからず恐ろしいのですが、それゆえに生を実感させてくれるものの美しさやぬくもりが、際立って輝くようなラストがすばらしい作品でした。

ちなみに、先ほどのハルオの問いにはある人物が答えてくれるのですが、その言葉がとても素敵だなと思ったので、ぜひ本編でお確かめください。
こちらからお読みいただけます。

(すごい長さだ! こんな文をここまで読んでくださる方がいたらありがとうございます……)

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2017'07'29(Sat)20:27 [ 同人誌の感想 ] . . TOP ▲