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【読了報告】佐々木海月『フリンジラ・モンテ・フリンジラ』
佐々木海月さん『フリンジラ・モンテ・フリンジラ』を読みました。
あまぶん(夏祭り)での戦利品です。
耳に残る印象的なタイトルは、主人公の名前にもなっている「あとり」という渡り鳥の学名だそうです。

主人公の「僕」――あとりのもとへ、カラスが別れを告げに来ます。
カラスに乞われて、「僕」はコウという少年の話をします。

コウ――渡辺コウ(略してナベコウ)は中学時代の同級生だった渡辺さんの弟です。
仕事で身体を壊し、いまはもう誰もいなくなった東北の実家へ帰った「僕」は、渡辺さんからコウの家庭教師を依頼されます。

アトリもナベコウも渡り鳥の名前ですが、ナベコウは本来日本には来ない「迷鳥」なのだそうです。(Wikipedia調べ)
このお話は、出会うはずのなかった「僕」とコウの出会い、そして何よりも別れの物語です。

ここから先は主に自分の実感についての話で、まあそれを感想というのでしょうが、この作品の紹介文としての機能はあまりない文章になっております。
ご興味があればどうぞ。




このお話を読むまで、私は「別れ」というものを忘れていたような気がします。
学校を卒業したり、転職したりして、かつては当たり前に顔を合わせていた人たちと会わなくなるという経験は、私にももちろんあります。
けれども携帯電話の電話帳には、特に連絡を取るわけでもないのにそういう人たちの名前が残り続けていました。
また、自分が体験した話ではありませんが、亡くなった人のSNSに、そのことを知らない友人たちが誕生日祝いのメッセージを残していく、などという話も聞きました。
電脳空間上に無機質なつながりを残したまま、私たちはもう二度と会うこともない――おそらくは会う必要もない――人々と上手に別れ損ねているように思います。

「別れは寂しいほうがいい」と「僕」は言います。
読み終えた私にはなんとなく、その言葉が分かるような気がします。その寂しさは、相手が自分にとって大切だったことの証でしょうし、そういう相手こそ、別れるべきときに別れたほうが、いつまでも大切な存在として胸に刻まれるだろうと思うからです――ずっと別れ損ねてきた私には推量の域を出ないのですが、きっとそうに違いない、と思わせてくれるのが『フリンジラ・モンテ・フリンジラ』というお話でした。
「別れ」「孤独」に付きまとう寂しさを忌避するのではなく、正面から受け止める「僕」の姿勢が、切なくて美しいです。

正直に言うと、終盤で「僕」がコウに向けて言う言葉は、少し私の実感と違うものではありました。
私は「他人を必要とせず、かつ寂しさを感じない人間」こそが、「ひとりきりで生きていける」人間だと思っているのです。
でも自分の考えと違うから良くないなどとは思わなくて、むしろそういう人間の存在を無邪気に信じている自分自身を立ち止まって考え直してみたくなりました。

とても大切なことを忘れていた、知らなかったと気づかされるとき、私は罰を受けているようだと感じることもあります。
私が歳を取ったせいなのか、自分の無知や忘却に引け目を感じるせいなのか、ぴしゃりと頰を叩かれるように思うのです。
しかしながら本作は、たいへんにやさしい罰です。
冷たい指先で頰に触れられて、はっと顔を上げても、触れたその人の姿はもう見えない。
きわめて感覚的な言い方ですが、私はそういう風に思いました。

蛇足ながら紹介文っぽいことを付け加えますと、作品は全体的に即興的かつ繊細な雰囲気をもっています。
いたずらに言葉を弄さない文体は、ここぞというところに適切な力であやまたずノミを打って削り出された、壊れやすい彫刻のような印象でした。
(実際はどのように書かれたかは、知る由もないのですが)
佐々木さんの研ぎ澄まされた感性と集中力を感じました。

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2017'11'29(Wed)09:58 [ 同人誌の感想 ] . . TOP ▲