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【読了報告】オカワダアキナ『ぎょくおん』
オカワダアキナさんの『ぎょくおん』を読みました。
テキレボ5の戦利品です。
裏表紙からあらすじを引用します。

共依存めいた関係にあった姉から逃げるように東京を離れ、さびれた温泉街の旅館で住み込みの仕事を始めた男、郡司。
いっさいの連絡を絶ち一年になろうとしていたが、心は吹っ切れない。
また、常用している薬の副作用による乳汁分泌に悩まされ、消極的な死に憧れを見出していた。
ある日、姉とよく似た少女と出会い、郡司はひどく混乱するが――。


TwitterのRTで『ぎょくおん』のことを知ったのは創作文芸に興味を持ち始めたごく初めの頃のことで、あらすじをみて純文ぽいお話なのかなあと思っておりました(たぶんそういうジャンルで間違いないと思うのですが)
実は最初はちょっとだけこわくもありました、という懺悔(?)を。
純文って、バイオレンスだったり、エキセントリックなエロスだったりが必要不可欠とばかりに生々しく描かれて、読めないわけじゃないんですが、「イーッ!!」ってなりながら読むイメージでした(伝われ)
たぶん村上龍とかそのへんのひとのせいです。もちろんそうじゃない純文の作家さんも知ってはいますが。
でも『ぎょくおん』は、少なくとも私にとっては、とてもやさしいお話でした。

***ここから脱線したはなし***

仕事中の昼休み、いよいよクライマックスに差し掛かった『ぎょくおん』を最後まで読もうと思って、私は喫茶店を探していました。
いつものお店は、週替わりランチの白身魚フライにイマイチ惹かれなかったので、行ったことのないちょっとあやしげな喫茶店に行ってみることにしました。
風俗店の無料紹介所と同じビルの上の階にある、あんまり流行ってなさそうな喫茶店。 そこに行こうと思ったのは、どことなくオカワダさんのご本に出てきてもおかしくなさそうなお店のように思えたからです。私はオカワダさんのご本をなんだと思っているのでしょうか。
階段を上って入ったそのお店は、とうに三十路を過ぎている私よりも古そうでした。きっと白髪のマスターみたいな人がいるんだろうと思っていましたが、意外と店員さんは私と同じか少し下くらいの女性でした。
「お好きなお席にどうぞ」と言われて店内を見回すと、お客さんは二人、こわそうなおじさんとこわくはなさそうなおじさんだけでした。ゲーム台みたいな席にはRESERVEDの札が置いてありました。私は嘘だと思いました。奥のテーブル席はアンティーク調で読書に向いていそうでしたが、こわそうなおじさんが近くに居たので、窓際のソファ席を選びました。
白い合皮のソファは、 窓に背を向ける形で配置されていました。どこも少しは汚れているか傷ついていました。汚れはたぶんもう落ちないのでしょう。
ランチメニューもありましたが、私は通常メニューのオムライスを注文しました。
900円もする割に、出てきたのは少しのサラダと家庭的な……家でも作れそうな小さい普通のケチャップオムライスでした。嘘です。私には無理です。ご飯を薄焼き卵で包むなどという器用な芸当は。
決しておいしくないわけではありません。この件に関しては、たぶん喫茶店のオムライスというものに過大な期待を寄せ、ランチメニューを無視した私にも責任があるのだと思います。
オムライスを食べていると南を向いた窓から、二月にしては強すぎる日差しがいっぱいに差し込んできて、私のうなじを焼きました。
向こうのアンティークな席では、こわそうなおじさんがガラケーで何か金の話をしています。
私はこの場で『ぎょくおん』を読むことを諦めて職場へ戻ることにしました。
席を立ったとき、奥からもう一人の店員さんが現れました。料理を作っていた人です。こちらも男性で、やはり茶髪で若い人でした。両手で、レタスを包み込むように持っていました。
『ぎょくおん』は職場で読み終わりました。もう一度あのお店に行く勇気は、まだありません。

***ここまで脱線したはなし***

……などと食べログの駄レビューみたいな文章を書き連ねましたのは、『ぎょくおん』を読んで、何かとりとめのない話をしたくなったからです。
「猫を飼う」のときもそうだったのですが、オカワダさんの書かれたお話を読むと、作品に関係あることないこと、いろいろ話したいことがあふれてくるようです。
ここからたぶんネタバレもしているので折りたたんでおきます。








『ぎょくおん』は、基本的にひとり語りで語られるお話です。
「一 ロバの耳の穴」だけ女性のもので、「二 祈りのまねごと」から「二十一 玉音放送」の途中までは主人公・湯田郡司が「姉さん」に向けて語ります。
郡司の語りは、戦争、キリストとユダ、海とくらげ、 「ロバの耳の穴」、麻雀、 姉さん、姉さんに似た少女、乳汁分泌と射精できない身体――などなど、さまざまなモチーフが重層的に現れ、どこかへ真っすぐぐいぐい進むことをいやがるように(もちろんお話そのものの筋道は通っていますが)うろうろしている感じがします。
それはまるでお客さんがやって来ては去っていく旅館に、ずっととどまり続けている郡司そのもののようでもありますし、読み手を「ロバの耳の穴」にしてしまう仕掛けのようでもあります。
返事はなくとも誰かに話しかけている、そのこと自体ほっとすることなのかもしれません。それと同時に、少し依存的でもあるな、と思います。

ひとり語りの物語は、少し厄介だなあと思っています。
語り手が嘘をついていたり、または本当のことを語っているつもりでも知らず知らず偽っていることもあるからです。
だから私はそういう物語を鵜呑みにしないで、少し疑ってかかってしまいます。
郡司が「死にたい」と言っていても、言動の端々にその真逆の欲求が見えているように思いました。
つまり、「生きたい」ということ。
でも私は、その本心に気づくまでの彷徨をただじっと聞いている、姉さん代わりの「ロバの耳の穴」です。
郡司の本当の物語は、ひとり語りが終わった後から始まるのではないでしょうか。
「さよなら。」の後、文体が郡司の一人称に変わったとき、鉛色の空から雲が去っていったような感じがしました。だからといって空は底抜けに青くはなく、まだ少し白んで湿っぽい色をしているような。

郡司は「戦争」から逃げてきた、と言います。(そういえばグンジという名前は「軍事」にも通じますね)
玉音放送は戦争の終結を報せる放送ですが、もっと正確に言えば敗戦を報せる放送でした。
たぶん、郡司もなにかに敗れたのでしょう。アランに男性性を奪われたことでしょうか。「姉さん」との決別でしょうか。生きたい自分を見つけてしまったことでしょうか。
けれども敗戦の後ではもう空襲に怯えなくてよいように、むりやり戦争のために働かされることがないように、郡司も穏やかに自分の生き方を選び取っていけるのではないでしょうか。
それがたとえ表面的には以前と変わらない暮らしだとしても、とても希望のあることだと私は思いました。

先ほども書きましたように、『ぎょくおん』はさまざまなモチーフが現れ、読み手によってどこに食いつくかも全然違ってくる気がします。
これからほかの方のご感想を読んで、新しい発見をするのもまた楽しみです。
オカワダさんのお話には、未成年がこっそり一本のタバコを共有するような、読み手同士のひみつの共犯関係が似合うなあなどと勝手に思うのでした。

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2018'02'20(Tue)23:35 [ 同人誌の感想 ] . . TOP ▲